私とプログラミングの歴史(中編)

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お久しぶりです。非常に遅くなってしまいすみません。
URL取り戻すのに半年もかかってしまいました💦

私とプログラミングの歴史(前編)はこちら

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退職後の生活

退職後はまずは正社員として走り抜いて疲れた心と体を癒すため、アルバイトを探していた。
もちろん、アルバイトといっても正社員登用制度ありのものに限定し探していた。

それでもパソコンを使った仕事がしたいという気持ちは変わらなかったのでデザイナー系を探した。
もちろん、障害者雇用枠ではなく一般枠でひたすら探した。
その当時はまだ障害者雇用枠でプログラマーがなかった。

結果、これまた何社もの応募を経て大阪にあるデザイン事務所に採用が決まった。

そこでは主にサイト作成・ウェブサイトデザインを中心とした事務所でとてもアットホームな所だった。

チャットをはじめて知った

耳が聞こえない、と告げると皆さんびっくりしていたものの、すぐに受け入れてくれた。
その事務所は男性10名女性10名のアットホームな所だったため、皆でホワイトボードに筆談したり色々と楽しかった。

そして、その当時、MSNメッセンジャー?が流行っており、それである方が「ねえ、このチャットを使ってお話すればいいんじゃない?」と言ってくれた。

そして、MSNメッセンジャーが全員に取り入れられ、その時から会議や朝礼などはみんなそのMSNメッセンジャーを使ってやってもらえることになった。

また昼食もみんなで輪になって食べていたが、MSNメッセンジャーを取り入れてからは各自自分の机に座ってチャットしながら、時々顔を見合わせて笑い合いながら昼食の時間も楽しめるようになった。

前職ではまだそういうのはなく、全部紙ベースでの筆談だった。
この筆談も本当にありがたかったのだけど、会議の時などはやはり追い付かないというデメリットもあった。
また、昼食の時間も食堂で筆談しながら食べるというのもなかなか大変で、それでその辺りちょっと難しいなと思っていた。それだけに、チャットという形を取り入れれば全員で楽しめるのだということを知った時は本当にうれしかった。

やはり、テクノロジーの進化は聞こえない人も聞こえる人も救うことが出来るんだなと思った。

デザイナーとしての採用のはずが

この事務所では人間関係も順風満帆でとても楽しかったのだが、仕事の面ではどうだったのかというと。

最初はWEBデザイナーとしての採用のはずが、1か月後くらいに徐々にプログラミングもお願いされるようになり・・・
気づいたらプログラミングもやっていた。

今はまだ1年目だから簡単な案件だけやっていればいいけど、これがもしまた難しくなっていったら・・?と思うと、このままではだめだと思った。
そして直談判したものの、人員不足だからとお願いされ結局そのままプログラミングの仕事を続け、1年が経った。

そして1年働いてまた無職に戻った。
また前のように技術的に追い付かずまたみんなに迷惑をかけるのではという恐怖が勝ってしまい、怖くなったのだ。

それからはずっと他の会社で経理事務のアルバイトをしながら色々なことをやった。
はっきり言って遊びなのだけど、全国一周をしたり、海外旅行をしたり・・・とにかくいろいろなことを経験した。

この頃は、「聞こえない人のための何かを作りたい」という夢は忘れていた。
ただ、今まで色々と大変なことばっかりだったので、とにかくそれを忘れて遊びたい、それだけだった。

そしてある日。「そうだ、東京に行こう。」
私は東京へ行くことを決めた。ずっと関西にいたため、他の世界を見たくなったというのもある。

初めての外資系企業

はじめての東京、初めての一人暮らし。
となると、まずは東京で一人で生きていけるだけの給料をもらえる会社でないとだめだと考えた。
この時は職種のこだわりはなく、とにかく暮らしていけるだけの給料がもらえれば何でもよいと思っていた。

就職活動

そしてここでも障害者雇用枠に頼りたくないという気持ちがあり、あらゆる就職サイトにも色々と登録した。
しかし、どこの就職サイトでも「耳が聞こえません」と書くと、どれだけ資格やキャリアがあっても連絡が来ない
(当時は資格オタクで資格を12個も持っていたw)

試しに、耳が聞こえないという文を伏せてアップしたら面白いほど連絡が来るわ来るわ。
何それwと思った。

そして色々と分かったのだが、東京は国に近い(言い方おかしいけど)ということもあり、積極的に障害者雇用枠での採用を促進していた。
なので、私が仮にある会社に面接を申し込んだとしても、障害者と分かるとすぐに「障害者雇用枠で受けてください」と言ってくる
私が例え、「障害者雇用枠だとこの仕事しかさせてもらえない、私はこういう仕事がしたいので一般枠で受けたい」と話しても「それでも決まりですから。。」と言われ面接さえさせてもらえない状況が続いた。

逆に地方だとまだ障害者雇用枠の考え方にそこまでこだわりがなかったのか、一般枠でも「とりあえずは・・」ということで面接ができた。
東京だから進んでいる、のではなかった。
東京だからこそ、障害者に対しては逆につらい現状があったのだ。

そして、東京では障害者雇用枠で受けたほうが早いと悟った私、さっさと方向転換した。
とにかく東京で暮らしていけることを最優先すると、今は仕事は選ばないほうがいいと思ったから。
そしてある日、東京で障害者枠の合同就職面接会があることを知り、試しに参加してみた。

当日は色々な企業がブースに並んでおり、これはと思った企業のパンフレットをもらったりしてぶらぶらしていた。
すると、ある企業のブースが目に付いた。そして引き寄せられるように椅子に座り、

「私は耳が聞こえないので、筆談お願いします」

するとその企業の担当者は「あぁ」とうなずき、すぐに紙とペンを取り出して書いてくれた。
「この企業はいけるかも」と思った。

今まで門前払いが多かったから。
障害者枠の合同就職面接会ですらコミュニケーションが壁となっており、同じ障害者なら身体障害者や精神障害者などが率先して採用されるという現実があった
なので、その対応を見てこの会社はいけるんじゃないかと思った。

そしてパンフレットをもらった。
その時に初めて気づいたのだが、パンフレット全ページ英語。
えっ!?どういう会社?と思ったw

全く英語が出来なかったけど、でもまぁ、なんとかなるやろ!と思って、連絡を待ちわびた。

面接、そして採用

そして数日後無事連絡があり、面接を受けることになった。
結局そこでは3回面接を受け、無事採用された。

入社してびっくりしたのは、外国人も多くいたこと。
別世界のようだったし、かなり文化も違っていた。

また、仕事は大変厳しく、例えば朝出勤してきた人が昼には呼び出されてそのままいなくなり、その後掃除の人が来てデスクの掃除をして荷物を持っていくなんてのも日常茶飯事だった。

しかしながら、様々な人種の方々も一緒に働いているせいか、私のような人に対しても大変寛容だった。
更に女性の管理職も多く、色々な意味で男女平等を実現している会社だと思った。

結果、そこでは1年半働いて退職に至ったわけであるが、この時に、「外資系企業であれば障害や性別による差別関係なく平等に働けるんだ」ということを知った。(もちろん日系でも良い会社はたくさんあると思うし、外資系だからみんなそうというわけでもないとは思うけど)

よみがえったプログラミングへの気持ち

そして色々と経験してきて気づいたことがあった。

私、本屋さんに行った時に気づいたらプログラミング書籍のコーナーに行ってるなぁって。

そしてプログラミング書籍を眺めては「あー、あれ勉強してみたい!」「こんなのも出てきたんだ・・」とか色々と眺めてはウロウロしている私自身に気づいて、「私やっぱりまたプログラミングの世界に戻りたいのかなぁ」と思うようになった。

やはり、プログラミングの仕事をしていた時が一番楽しかった。
色々なことがあったけど、お客様の要望に応えて喜んでもらえること、
自分で考えて自分で開発してそれが仕上がった時の爽快感、
色々なことが忘れられなかった。

しかし、戻るにしてもやはり不安があった。それに、戻ったとしてもやっていけるのか?また体を壊すんじゃないかと思った。
それに、どうせきちんと学ぶこともできない・・・と思っていた。

それに、当時同じ関西にプログラマーの仕事をしている友達が1人もいなかったというのもある。
それで相談もできず不安に感じていた。

また戻る決心

それでも、いつも本屋さんに行ってはプログラミング書籍コーナーをうろうろとしてしまうぐらいなら、もうやっちゃおう!戻っちゃおう!と決心がついた。

それに今は時代も変わり、スクールなどの対応も幾分かはマシになってるかも・・という若干の期待もあった。
そして、とにかく、あれこれ考えるよりはやってみないと分からない、と腹をくくった。

また、外資系企業であれば聞こえなくても平等に働けるかもしれないという希望もあった。
かつ、私は女性で障害者。また年齢も20代ならまだ分かるけど、もうそういう年齢ではない。
それを考えると社会の中では相当なハンデがある。
女性で障害者で、かつ、年齢も考えると働くなら外資系企業しかないと考えた。

それからは英語も勉強した。そして色々な外資系を受け、無事今の会社に受かった。

後編へ続く

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